ふと耳にせんせん水の流れる音が聞こえた
そっと頭をもたげ息をのんで耳をすました
すぐ足元で水が流れているらしい
よろよろ起き上がって見ると
岩の裂け目からコンコンと
何か小さくささやきながら
しみずが湧き出ているのである
その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた
水を両手ですくって一口飲んだ
ほーっと長いため息が出て
夢から
さめたような気がした
歩ける
行こう
肉体の疲労回復とともに
わずかながら希望が生まれた
義務遂行の希望である
我が身を殺して名誉を守る希望である
車用は赤い光を木々の葉に投じ
車用は赤い光を木々の葉に投じ
葉も枝も燃えるばかりに輝いている
日没までにはまだ間がある
私を待っている人があるのだ
少しも疑わず
静かに期待してくれている人があるのだ
私は信じられている
私の命などは問題ではない
死んでおわび
私は信じられている
などと気のいいことは言っておられぬ
私は信頼に報いなければならぬ
今はただその一時だ
走れ
メロス
私は信頼されている
私は信頼されている
先刻のあの悪魔のささやきは
あれは夢だ
悪い夢だ
忘れてしまえ
ゴゾウが疲れている時は
ふいとあんな悪い夢を見るものだ
メロス
お前の恥ではない
やはりお前は真の勇者だ
再び立って走れるようになったではないか
ありがたい
私は信頼されている
私は正義の使徒として死ぬことができるぞ
ああ
日が沈む
ずんずん沈む
待ってくれ
ゼウスよ
私は生まれた時から正直な男であった
正直な男のままにして死なせてください
道行く人を押しのけ
跳ね飛ばし
メロスは黒い風のように走った
野原で主演の
その縁石の真っ只中を駆け抜け
主演の人たちを仰天させ
犬を蹴飛ばし
小川を飛び越え
少しずつ沈んでゆく太陽の
十倍も早く走った
一段の旅人とさっとすれ違った瞬間
不吉な会話を小耳に挟んだ
今頃はあの男も
張り付けにかかっているよ
ああその男
その男のために私は
今こんなに走っているのだ
その男を死なせてはならない
急げメロス
遅れてはならぬ
愛と誠の力を今こそ知らせてやるがよい
風邸なんかはどうでもいい
メロスは今はほとんど全裸体であった
呼吸もできず
二度と歩いている
三度口から血が吹き出た
見える
遥か向こうに小さく
シラクスの街の灯籠が見える
灯籠は夕日を受けてキラキラ光っている